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2012/09/28
安倍元首相、橋下市長のそして他の多くの政治家の言葉を聞いていて、言葉について考えました。言葉は本来、自分の考えや思いを伝えるための道具にすぎません。あくまでもツールなのです。そのツールの背後にあるものが重要なのです。しかし、隣国との諍いを見ていても、彼らが、言葉を通じて思いを伝えようとしているとは、とても思えません。
例えば橋下市長は、慰安婦問題に日本軍が正式に関与したという事はない、あるというなら証拠を出せと言いました。日本軍が正式に慰安婦問題に関与しているわけがありません。日本人の女衒に言って、騙して朝鮮人の女性を集めたて戦地に送らせたのです。人間の裏の部分を正式文書に出しているわけがありません。それを正式にこだわって言ったため、慰安婦問題を否定していると捉えられてしまったのです。相手が何を考え、こう言ったら何と思うかの斟酌がまるでなかったのです。言葉が何より大事だと考え、細部にこだわって発言したなのでしょう。
安倍元首相は、首相時代、拉致問題に対して、いつも同じ事しか言っていませんでした。相手にわかってもらうと言って、同じことを繰り返しているのを見て、この人、何を考えているのだろうと思いました。自分の考えている事を伝えたいのなら、相手に伝わる言葉は何か、あれこれ工夫して、あの手この手をためしてみるべきなのに。
それで気づいたのが、日本の学校教育と試験重視主義です。先生の言う事を一方的に聞くだけの教育、答案用紙に答えるだけの勉強方法。答えは1つだけ。このような日本の教育方法が、言葉だけしか見ない人間を作り出したのではと思いました。教室内で議論するのが当然の教育なら、ひとつの言葉しか使えなければ、成績はダメ出しになるでしょう。自分の思いを伝えることがどんなことか、相手の言っている事を真に理解するのはどういう事かをしっかり学べるでしょう。日本の政治家の隣国との諍いの原因をペーパーテストと多人数学級にあると思いました。
勿論、これは政治家だけの問題ではありません。夫婦間での会話も同じことが言えます。感情をうまく言葉に出来ない女性に対し、男性は言葉に出来ない事は無視します。女性の感情のというより感じた事、その気持ちを尊重して、それを知ろうと努力する男性が、どれだけいるでしょうか。右脳と左脳で考える女性と左脳だけの男性との違いが、言葉に対する考え方にあると私は考えました。
言葉について考えたきっかけは、神戸に来てから始めた手話で、言葉の意味に気づいたのです。手話は、手の動きだけではなく、顔の表情や視線も重要な働きをします。つまり、いかに自分が言いたいことを相手に伝えられるかが大事です。言葉のように便利なツールがないため、手話と言っても手だけではないのです。あれこれ手話を習って実際に使ってみて、手話こそ対話の基本を行っていると痛感した次第です。ところが、日本の法律では、手話はまだ、言語として認められていないというのです。本当に何とも多くの事を間違っている国でしょう。