原発と国負債を考える

三原 翠(2011/04/30)

ドイツでは、それまで原発を推進しようとしていたメルケル首相が、一転、原発をやめる方向を打ちだしました。地方選挙での原発反対派の躍進での、態度の豹変です。豹変というと悪いことのようなイメージがありますが、むしろ過ち(反原発の国民の意識を見損なったという)を糺すに憚ることなかれの潔さとしたい。

それに比べ、日本では、東海地震が予想され、その時には大きな問題を起こすだろうと言われている浜岡原発が、4号機5号機を動かし続けているだけでなく、停止していた3号機も運転すると言っている、何か、他から学ぶ視点、あるいは反省する視点のどれもが欠落している中部電力である。浜岡原発は、断層の上にあり、東海地震の震央に近いと言われていて、原発の事故の可能性を考える場合、3月11日以前は、浜岡が常に考えられていました。

中部電力がそう発表したことは、それをサポートする国や原子力関係の組織があるからだと思います。中部電力は、原発は浜岡だけなので、浜岡を止めることで、原発のない会社としてむしろイメージアップになるのにと思いますが、競争のない電力会社では、そのような発想はないのでしょうか。

これほどの問題を起こす原発に対し、問題が起こっていない他国で、真剣に討議され、反対運動が盛んなのに、現在も、そしてこれからも、ものすごいお金と労力と時間をかけて後始末をしなくてはならない日本が、どうして原発を止めようとしないのか不思議でなりません。特に東海、東南海地震が起こるのは、もう、ほとんど確実になってきているのに。

このような従来の考えを変えることを悪のように考える風潮或いは風習は、過ちから学ぶ事をしない文化であり、或いは想像力を働かしてみる事をしない人々に元があるように思います。

一人一人はそれなりに、自分を改善しながら人生を歩んでいるはずなのに、全体としてはそうならないのは、どうしてでしょう?

その一つの理由として考えられるのが、結果を責める風潮がある事も一因ではと思います。過ちを認めると責められるから認めない、認めないから変えられないの悪循環をどんどん推し進めているように見えます。

私は昔、なぜ、メリットが少なくて、危険性や将来的コストの高い原発に、国が進んでいくのを不思議に思い、自民党はやはり核兵器を完全にはあきらめられなくて、原発を手放さないのではと思っていました。

でも、現在は、核兵器に進む可能性がまず全くなくなっているのに、やはり原発をやめられないのは、何故なのでしょう?

私には、不思議で不思議でたまりません。 しかし、似たような問題があることに気づきました。

一人800万円と言われている国の負債です。

自分達の現在の生活のために、将来の子供達に借金の山をこしらえてきた国の政治は、一体何を考えていたのでしょうか?

これだけの借金があっても、風評被害まで、保障すると政府は言っています。今の、本当に一瞬の今の良い顔をするために、他のことを一切考えていないようように見えます。保障の大盤振る舞いも、国の借金と同じように見えてきます。

これらを考えていると、今までの日本を動かしていた人々、そして今動かしている人々の思考能力がおかしいのではと思われていきます。
でも、それは、決して動かしている人々だけでなく、それを支えている同じように考えている人々がいるのです。ほんの身近な人々にも、反原発は政治問題だという人々がいます。皆さん自身も或いは身近にそういう方がおられるでしょう。

多くの女性は、お母さん達は、若い人たちは、今まではどうあれ、今は反原発です。私の聞いた多くの人達はそうでした。

その人々の層の違いを考えてみて、その違いが生じる原因は、男は仕事、女は家庭の分業体制にあるのではと気づきました。
男が家庭から離れ、実際の生活感や現実の生活、子供の未来等々、それらと離れ、或いは離されて、しかも家族を養わなくてはならない重圧を受けつつ、働き続け、仕事、エネルギー、GNPの成長等々だけを考えるだけになってしまったのではという気がします。

常々、男社会の中で働いていて、女性の視点を入れることで、会社も社会もずっとよくなるのにと思ってきましたが、原発問題も国の借金も生活から離れて、ただただ稼ぐだけになった人間の辿りついて結論だったのかと思ったら、心底恐ろしくなりました。

誰かの任せていたら何とかなるなんて思っていたのは、とんでもない間違いだったのではありませんか!

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