生きるという事

生きるという事が何かを考える時、それは必然的に死とは何かという事に繋がっていくと私は考えています。

死はとても良い所だ、なぜなら誰も帰ってこないのだからと冗談がありますが、勿論、死はそんなものではありません。

昔、中学生の頃、私は自分が被爆者であるので、いずれ癌になって死ぬのではないかととても恐れた事がありました。
その頃、週刊誌などで、被爆者は奇形児を産むだとか癌になって早死にする等と、なんでも原爆に結び付けて話題を煽っていました。

毎日毎日、死ななくてはならない事を考えていたら、そのうち癌になる事が怖いから死んでしまおうと妙な逆転の発想をし始めました。そして自殺を考えるようになったある日、夢を見ました。

それは、アンネの日記のアンネになった夢でした。最後のあの本棚の後の隠し扉を破って、ナチスが入ってくる夢でした。
私は、ストーブの陰に隠れていました。(多分、アンネの日記がストーブの中から発見されたので、ストーブが登場したのではと思いますが) しかし、そのストーブは細く、私の体が、向こうからよく見えていることはわかっていても、私にはどうしても、自分から出て行くことは出来なかったのです。それは、明確に「死」を意味している事を私にはよくわかっていたからです。引っ張り出されるまで、出ては行けませんでした。しかし、それはありませんでした。夢から醒めたからです。

夢から醒めた時、”生きていてよかった!”と心から思いました。生きている事は、本当は素晴らしい事、生きている事だけで、本当に生きているだけで、どんなに嬉しい事か、例え体が動かなくても、意思の伝達が出来なくても、生きている事は素晴らしい事! 目が覚めたとき、心底 そう思いました。

それは又、死について考えさせられました。私達は、生きていて、脳で死を考えているが、実際の死は、脳で考えた死とは全く異なるものである事を悟りました。脳は生の世界での死を考えるだけであって、本当の死は考えられないという事を。

本当の死は、本能の世界にあるのです。生と死の境に立つと、人は皆、生を選択します。それは、本能です。しかし、生に戻ると自分の本能を忘れ、又、自殺をしようとしたりします。

死は、私達の考えの外にある世界です。ですから、私は、死刑に反対です。生の世界と死の世界は全く異なるものです。
誰も、国も人も誰も、生から死へ人を追いやってはいけないのです。死は人の関われる世界ではないのです。

「生きるという事」 それは誰でも、生き続けなくてはならないものなのです。人間も動物なのです。自殺する動物がいないように、人間も自殺や死刑は、いけない事なのです。

どのように生きるべきかは、生きることのはるか下の方にある考えです。まず、生きる事。それが一番大切です。