考えの系統樹

他の方が、どのような考え方の方法を持っているのか知りませんが、私はいつのからか、自分の考えを積上げていて、それが丁度、系統樹のようになっている事に気づきました。そして、このように自分を考えを持っていると、何かと取れも便利な事に気づきました。その便利さを他の方にも真似てもらいたくて、これを書いています。

ではどうして、或いはどうやって、この考えの系統樹を作ってきたかをお話します。

私は昔、戦前の軍国主義の考え方を非難する人々の話を聞いていて、そしてその頃生きていた人が、どうしてそのように考えるようになったかを聞いたり読んだりしていて、自分だったらどうだろうとずっと思っていました。
戦前に自分が生れていた時、周りの流れに流されずにいただろうか。私には、大勢の中で埋没しないで、自分の考えを維持出来るか、或いはそもそもそのように考えられるか、とても自信がありませんでした。どうやったら、流れに流されない自分の考えを持つ事が出来るのだろうか。それ以来、ずっと考えていました。

考えに考えて、自分にとってまず誰がなんと言っても大事だと思える事から出発しようと思いました。
それは命でした。戦前、人の命が赤紙1枚と言われていた事と対比していたのかもしれませんが、でも、自分で考えて、それが一番大切と思いました。他人のものでも自分のものでも、どれも命が一番大切。いろいろなことを判断する時、命から出発しました。

戦前の軍国主義が悪いのは、命を粗末にしているから。国よりも、或いは国家体制より、命の方が大切。国家のために命があるのではなく、命のために国家があるはず。

さまざまな意見を聞いたり、政治を見たり、事件を見たり、その度に私は命が大切と考えた基から出発して、目の前の事象を判断しました。

進学する時も、元々化学が好きだった事もありますが、医学部は一顧だにせず薬学に行きました。医学部は、人の命を助けるかもしれないけど、もし、自分が無知だったり、ミスしたりして死なせてしまったらと思ったら、とても自分には出来ないと思いました。
今、その決断をして以来の50数年を振り返って、この判断が正しかったとつくづく思います。誰も殺していなかった事が何より嬉しいです。

話がそれましたが、この命が大切という基から、いろいろな考えや理屈を積み重ねていって、気がついたら考える系統樹が、私の頭の中に出来ていました。どのテーマも元が一つ、命なので、それぞれ皆、繋がって存在しています。

そのうち、何か人から質問されたとき、考えを聞かれた時、或いは理不尽な言葉を投げかけられた時、私の頭の中でそれに関連する系統樹の先がすぐ見つかり、理屈の流れが、自然に出てくるようになりました。

これは、自分に不利な状況になった時、威力を発揮します。下手な発言をすると、こういう事が相手から言われ、次にこうゆう風に不利になるとすぐわかるのです。喧嘩を始める前に、勝敗がわかるので、負ける喧嘩はしないのです。ですから、喧嘩をすれば必ず勝つのです。

そんな私が、勝つか負けるかわからないけど、喧嘩をしたという事がありました。

それは、あまりに理不尽な仕打ちにあった時です。私が男なら決してこんな目には会わないだろうと思ったら、勝敗よりも戦うという気持ちの方が強かったのです。勿論、出来るだけ勝つような戦い方をしましたが。  結局、勝ちました。最も相手も負けたわけではなかったのですが、その時は。今は、多分、私の方が勝っているでしょう。私の方がずっと苦しんだのですから、それでいいのだろうと思います。

他人の意見を聞いたとき、それが納得出来れば、私の系統樹に取込まれて樹は生長します。納得がいかなければ質問して納得がいけば樹になり、納得がいかなければ、リリースします。

最近、この系統樹についてあれこれ考えていて、ハッと気づきました。私がただのおしゃべりが好きでない理由を。そしてそれは私が女性が苦手である事の理由になっている事を。
それらは、私の系統樹に取込まれる事がないからなのではと。

この系統樹があっての良い事は、自分のわかっている事とわからない事がよくわかる事です。

今、わからないでいる事の一つが、日本を守るために、自衛隊と米軍をどのように考えればよいかという事です。
これが、わからなくなったのは、イラクがクウェートに侵攻した時以来です。このような理不尽な国がある可能性を目の当たりにして、それまでの軍事に対する考え方を停止しました。どう考えて良いのか、今もわかりませんし、今も考えています。