菅首相と日本人

 2011年1月2日 三原 翠

大きな期待と共に登場した菅首相の実際の姿に、日本の国民の多くは、大変失望しました。私もその一人でした。
でも、鳩山首相と異なり、菅さんはそれなりに苦労して首相まで登りつめた人なのに、どうして(鳩山さんほどひどくはないけど)他の国の政治家のように自信をもってふるまってくれないのでしょうか。少なくとも、ある程度の信念を持っていたのではないのでしょうか。

そこで、見えてきたのが、管さんだけでない日本人の打たれ弱いという点です。

参院選挙の前に、消費税の問題を堂々と主張した時、今までの政治家とは異なる正義心を見た気がしました。それまでの自民党のやり方は、選挙が終わってから、耳に痛い事を言い出し、選挙前にちゃんとこれからの痛みを話すような事はありませんでした。そんな事をしたら、選挙で負けるというのが常識でした。ですから、菅首相の消費税発言は、本来すごい勇気の必要な発言でした。私はこの正義感に民主党に変わった大きな政治の変化を感じました。これは多くの国民もそう思ったのではないでしょうか。その証拠に、確か、支持率が落ちる事は落ちたのですが、それは大した落ち方ではなかったと記憶しています。(67-8%が50%だったように思います。)ところが、多くの報道は、支持率が落ちた落ちたと大騒ぎし、結局、菅首相は、消費税論議を引っ込めてしまいました。 え?なぜ?というのが、当時の私の記憶です。

その後も菅首相は、何か言っては引っ込めを繰り返してたいような気がします。

「打たれ弱い」

それは管首相一人の問題でなく、日本人の多くが、いや日本の男が、打たれ弱いと気付きました。

例えば、ここでも取り上げた厚生省の村木さんの冤罪事件です。
あの時、関係した男達は皆、検察の調書にサインしました。村木さんに罪がないと知っていても・・・。
検察という権威の前にひざまずいた人々を私は、ヒエラルキーの世界に生きた男たちの習性のように思いましたが、それだけではなく、検察の取り調べの段階で、徹底的に叩かれていた事が各人を弱気にさせたのではないかと思い至りました。打たれ弱い男達に気付きました。
そう、信念を持たない人間は、打たれ弱いという事を。或いは弱い信念では、打たれるとすぐ引っ込めてしまうという事でしょう。

男だけの問題ではないかもしれません。私自身も打たれる事にどれだけ強いかというと自信はありません。でも、昔、会社に入って1年間、散々いじめられていた時、こんな理不尽な事が許されていいわけがない、私は負けないと頑張った事を思い出すと、自信が強ければ、打たれても負けないと言えるのかなと思います。唯、いじめていたのは、ただ一人の人だった事が私が負けなかった事の重要な要素だったのかもしれないとも思います。

私も含め、日本人はもっと打たれ強くなる事が必要に思います。

菅さん、もっと打たれ強くなりませんか!

1月12日に首相夫人を囲んでの昼食会に参加する予定です。なにか情報が得られるかもしれません。