日本の過去と現状から将来を考える

2010年1月2日 三原 翠

@過去の問題

20年間も続く不況は、もう不況という状態でなく、これが通常の状態ではないかと思わせます。
あれこれ、有識者と言われる人が、その問題点や課題を述べていますが、私は、どれもピンときません。何か、本質を誤っているのではと思い続けていました。いつまでも思うだけでなく、発信してみようとようやく書き出しました。

リーマンショックや資源高騰、中国、韓国の台頭など、いくらでも理由は挙げられていますが、それらは真の原因ではないようです。

下図は、藻谷浩介氏の資料を引用させて頂いたものですが、2010年の日本の人口予想図です。

この図からわかるのが、団塊の世代と団塊ジュニアの世代の間は、労働人口が多く、それはまた購買人数が多い事を意味しています。
経済が驚くほど伸びたのは、この世代があったから可能だったのであって、その上、その間、全く戦争という無駄な資源と労働の浪費がなかった事も大きく貢献した事でしょう。勿論、人数が多くても経済の発展に結び付かなかった国もあるでしょう。
この図を見れば、将来の労働人口の減少と購買人数の減少は、明確です。かつてのような成長を望むのは無理な事がわかります。輸出を今までよりはるかに大きくしない限り。

では、日本がこの労働人口をうまく成果に結び付けられたのは、どうしてでしょうか?
彼らが、勤勉だったから?経営者が優秀だったから?自民党の政治が良かったから?

かつて、日本の企業で働いた事のある私は、それらが真の原因とは、とても思えません。なぜなら、47歳の時に、初めて企業に入社した私は、会社の真の姿を知って、本当に本当に驚きました。
それは、上意下達の封建的な世界でした。そして、まさしく、戦前の日本の軍隊が、会社の中に生き残っている事を知りました。
その頃、私は友人の女性達に、「会社というところは何でも出来る所よ。殺人以外の。さすがに殺人が起これば、司直の手にゆだねるでしょうが。」と言いました。その後、ある男性は、いや殺人だってするよ、と私に言いました。

つまり、日本の男たちは、かつての神国日本のために命を投げ出して働いたように、敗戦後、企業に命を投げ出して働いていたのです。
そして国家も、従順で、和を尊び、大人しく 一生を仕事に捧げる男達とそれを支える女達を作るために、文部省が教育を支配し、先進国では考えられない多人数の一斉教育を行い、授業に異論を許さず、教師にも異論を許さずという教育を戦後、続けてきました。

狙い通り、男はその全時間を会社に捧げ、女はそれを支えるために、ひたすら家事と育児に励む事が、当然とされてきて、そして高度経済成長が成し遂げられたのです。かつて、軍事力で支配しようとしていた世界を、経済力で支配しようとしたのが、戦後jの日本です。この20年は、それらの矛盾が一気に噴き出しているのです。昔のいや、今も続いている働く人々は、長時間労働を強いられ、その割に給与は少なく、生産効率性は、機械化された工場を除き、決して良いもののではありませんでした。特にホワイトカラーと呼ばれた事務職では、特に。

振り返ってみれば、日本が領地を広げようと、将来の事を十分に考えずに、目の前の戦果だけを見続けて、突っ走ったのと同じように、戦後の日本も、真に将来を考えずに、目の前の業績を上げようと、ひたすら突っ走っていたのです。このままでは将来が、立ちいかなくなる事、早く手を打たなくてはならない問題がある事を知っていながら、それらを見ないようにして、国民に知らせようとはせずに、脇にやって、走った結果が、自民党の政権交代を招いたと思います。

日本は、戦前の過ちと同じ事を、今度は経済面で、社会面で行っているのです。戦争は他国への迷惑行為ですが、現在の行為は、日本の崩壊をも招く可能性の高い行為です。他国に迷惑をかけないだけ、マシなのかもしれませんが。

日本を立て直すには、現在の問題に取り組むだけでなく、教育問題を根本から考え直さないと、本当には立ち直れないだろうと私は思っています。