終戦後の67年間を考える 本文へジャンプ
 

2012/08/20
終戦の日に思った。この67年間、日本人は何をしてきたのか?科学は進み、生活は便利になったが、その精神構造は、果たしてどれだけ変わったか?進む目標は変わったけど、そのやり方、考え方は何も変わっていないのではと思います。
日本人の考え方
日本人と書きましたが、実際には日本人の男の考え方です。敗戦時、国の構造は、ガラガラと変わりましたが、日本の男達の考え方は、あれ以降、戦前と変わったのだろうか?
以下順に変わっていない点を挙げます。
@ 占領政策で、軍関係者や戦争に加担した人々は追い払われたように見えましたが、じき、彼らは戻ってきました。有名なのが岸信介氏である。岸氏は、戦前の東条内閣の商工大臣、軍需省の次官まで勤めA級戦犯で逮捕されたが、なぜか不起訴、公職追放ののち、衆議院議員となり、総理大臣になって日米安保条約の成立に尽力した。大臣退任後も隠然たる勢力を持ち続けた事でも有名である。これが一番象徴的な現象ではないだろうか。戦争を起こしたり、加担したりした事が、咎められずに戦後に総理大臣となる土壌こそ、戦前も戦後もあまり変わっていないと思う理由の一つである。
@フクシマでも、原子力政策に対して、フクシマ以後と以前とで、あまり何も変わっていない現状があります。原子力規制委員会の委員の問題でも明らかなように、或いは原子力保安院や原子力安全委員会のメンバー等ほとんど変わっていない事は、又、いくらでも同じことを繰り返すでしょう。
A戦後直後は、米国の占領政策のため、女性の権利が拡大し、議員の立候補も多くなったが、じき、それらは消えていきました。女は家で家事と育児をすべきだという男の圧力で、米国占領でもたらされるかと思った女性の権利は、あえなく消えていきました。農村では封建的な家父長制が色濃く残り、都会ではサラリーマンが増えて、ここでも戦前の銃後の戦いよろしく、女は家事と育児を引き受けて、戦う男の応援に徹するという図式が出来ていきました。戦前は、すべての女が銃後の戦いだったが、戦後はそれがサラリーマンの家庭に繋がっていった。農村では更に過酷で、同じように働き、なおかつ家事と育児が加わっていた。
A戦後、女性の教育も男性並みになっていながら、社会的に影響力をる地位に女性がほとんどいません。排除されていたきた結果です。原子力保安院にも安全委員会のも。女性の視野は、(勿論例外もありますが、)多く目の前の事だけでなく、孫子の事まで考えています。むしろ目の前の事より、子孫の事の方が大きく考えているでしょう。自分の立場や、自分の生きている範囲の事しか考えられない男達とは根本的に異なっています。でも、多くの男達は、そのような事を全く考えられないのです。理論だけに固まり、理論を推し進めた先に何があるか考えないで、理論ばかりを追い求めます。自己保身と理屈。40年以上、男社会の中で対等に戦ってきた私が切実に感じた男と女の違いです。
B民間会社の中における軍隊組織を知ったのは、1992年47歳で初めて民間会社に就職した時である。多分、その頃の会社の中でもまだそこは、マシだっただろうと思うが、サラリーマンは上司次第と言われたように、良い上司に当たればよいが、そうでなければ、戦前の軍隊さながらに、上司の無理難題にご無理ご尤もとひたすら任の一字、逆らえば飛ばされる、或いはいじめられて追い出される、軍隊では殺されるという事もあっただろうがさすがにそれはないだろうが・・・と当時思っていたが、ある人から言われた。いやいや殺人だって行われていますよ、自殺に追い込むのですよ、と言われた。個々が考える事が許されす、全て上司の言う事に従うだけ。工場の歯車と同じように、事務所の中でも歯車に過ぎない扱い。出る杭は打たれるで、目立つことは嫌われ、ひたすら沈黙を守って時間を過ごす。帰りには、その憂さを晴らして、気持ちを切り替えないと家にも帰れない。すべては家族を養うために・・・・。
B原発行政と原発現場共に、同じように上司の言う事に従うだけ、異論を挟めば飛ばされる辞めさせられるがまかり通っていただろう事は、原発で働いていた人の手記でも明らかです。特に原発関係が規制が厳しいだけに、現実より規制が優先され、安全性に問題があっても何も言えないという事を昔聞いたことがあります。原発現場が通常の工場と全く異なるのが、この規制でがんじがらめになっている点です。そのために責任の所在が明確でなく、誰も責任をとらない構造となっているというのです。
論点は少し異なりますが、仕事がないので放射線の高い所で働く人々、彼らの存在なくして原発の存続がないのに、使い捨てになっている現実。原発がある事によってこのような非人道的な職場が作られているのです。同じ発電所でも自然エネルギー利用や化石燃料利用では決してそのような事はありません。

C戦争責任が問われずに終わっている。@で述べた岸信介氏だけでなく、日本全体としてあの戦争を引き起こした責任をA級戦犯の死刑で終わらせ、真にその理由や当時の体制の反省或いは戦時中の行動に対する反省を全くしてこなかった。占領国の裁判だけで、自らの反省が全く行われなかった事が、結局いつまでも戦後を引きずり、或いは戦前の価値観を引きずる結果になっている事。自らの反省を行っていないという点で、同じ敗戦国のドイツと大きな相違がある。ドイツはかつての自分達の行いを反省し、他国に対し相手が許す気になるほどの努力をしてきた。戦前の行いをきっぱりと断ち切り、今でもナチ関係の非難に手を緩めない。それに比べ日本では、中国や朝鮮半島、南方での自らの行動を全く反省せず(少なくとも、相手側が反省していると認められるような反省)、非難されたことを否定したり、事実を曲解したりして戦後67年経っても隣国との関係を正してこれていない。これは日本人が反省する事に対して反省するのは恥だと思っていたり、非を認めると更に叩く傾向がある事と関係しているのではと思う。例えば非を認めれば更に叩いた例は、北朝鮮の拉致問題で、金氏が拉致を認めた時である。あの時、国内があのように非難の応酬をしなければ、我々もかつてはひどい事をしたと相手を許したら、とっくに拉致問題は解決していたのではと言う気がする。最もこれに関しては完全に楽観的見方だが。
C原発についても同じように、真の反省はまだほとんどなされていない。事故調査報告が出ても、それらが今後にどのように生かされるのか明確でなく、報告が出たらお終いと考えているのではと心配である。大飯原発の再稼働がそのよい例である。ベントの仕組みも地震対策を活断層があるのではないかと言う点も何も未完のまま、再稼働を始め、それに伴い、12ある火力発電所の8か所を止めている。何のために再稼働したかは明確である。関電の企業としての採算の為に、フクシマの反省を十分しないで再稼働する事に、世界はあきれ返っているだろう。地球上を特に太平洋を汚染し続けている罪を全く反省していない証拠であると。一度決めたら撤退しない、かつての戦争中がそうでした。物事は常に状況を見極めながら進めていくべきなのに、なぜか、1度決めたら変えてはいけないと考える文化、これは何だろう。多分、それを決めた人への遠慮があるのではないか、変更すればそれが悪かったことを示すようで、変更できないのではないか?状況が変わったのだから、変えて当然と考える文化はどうしてないのだろう。一人一人を考えてみよう。何かをしてうまくいかなければ、当然変更して、改善して進めていくだろう。それが法人になるとどうしてできないのか。面子、しがらみ、ヒエラルキー、それらでがんじがらめになっている日本の男達では、小さなKAIZENは出来ても、大きな改善は出来ないのではないだろうか。
D戦争中、外国をすべて排除し、外国の情報を国民に知らせる事をしませんでした。国民だけでなく、情報は一部の者の手にだけあり、多くの日本のための情報が、握りつぶされたでしょう。情報は、種々の判断を行う上で欠かせないものです。偏った情報では偏った結論になり、いかに多くの多面的な情報が必要かはだれでも知っている事です。英語教育を止めてすべてを排除した時点で、戦争には負けます。相手の事を出来るだけ知る努力が必要です。これは戦争に限りません。仮に誰かと喧嘩になりそうなら、その人の事を出来るだけ調べて対策を立てるのは、誰でもする事でしょう。情報はそれら対策を立てるための重要な要素です。一つの目標に皆を向かわせるために、情報を操作し、走らせることは、短期的には成功しても、決して長期的にはプラスになりません。戦争は始める前に終わるときの算段をしておくものです。かつての日露戦争では、日本はそれをしてきました。しかし、怒りに任せての喧嘩や自分の都合の良い見方だけでの他者への期待、それで戦争を始めるのは、子供が喧嘩を始めるのと同じです。大人の戦争ではなかったと太平洋戦争をつくづく思います。
Dフクシマの事故は、私達にどれだけ情報が提供されてきたかと見ると、実に情けない状況です。事故直後の「すぐには健康に影響ない」だけでなく、その後も政府もマスコミも情報を正直には出して来ませんでした。特に政府は、国民がパニックになると言っていましたが、国民の方が実際はずっと大人でした。インターネットの情報を得られない人にとって、或いは情報を十分判断出来ない人にとって、真実は今も伝えられていません。科学的データと言う名のもとに、危険性を予測できる資料は隠され、統計的に十分なものだけが科学的と言う名で採用されています。未知の事柄に対し、十分な科学的情報があるわけもなく、チェルノブイリに経験を活かそうともせず、あたかもフクシマがなかった事のように新たな別の話題でフクシマを消し去ろうとしています。
外国ではどのようにフクシマの教訓を述べているか、スイス原子力安全規制局の報告は、39の教訓として報告しています。 ドイツの放射線防御委員会では、日本が進めている瓦礫の広域処理は、国際法違反であると指摘しています。
特に福島の中では、言論統制のようになって、自由に放射能の心配を口にすることも出来ない雰囲気と聞いています。戦前の言論統制と同じような事が行われています。

今まで通りの日本のふりをしていたい、3.11がなかった事にしたい、敗戦が無かったかのように戦後ふるまってきたのと同じように感じます。苦しんでいる人々、何も知らないで無邪気に大人を信じている子供達、私達は又、あの焼け野原の日本のように、放射能にまみれた日本を作り出すのでしょうか。