リスクを考えての決断 本文へジャンプ
 

2012/5/6
リスクをどう考えるか、私のリスクの考え方とそれに基づいた決断をご紹介します。
まず、リスクとは何かというと、その語源は、16世紀の大航海時代、マゼラン海峡のような危険な地域を通って、香辛料をヨーロッパに運ぶことで巨万の利益を得るために行動する事から来ているそうです。現在でも、危険と利益を天秤にかけて決める行動をリスクをとると言います。
 原発の危険性と必要性と、そのリスクを考えたら、危険性に比べ利益はそれほどではありません。電気を作り出す方法は、他にいくらでもあり、危険を冒す必要性は少ないと言えるでしょう。原発を推進する事は、あまりに危険性の高く、メリットの少ないリスクの選択をしていると言えるでしょう。
しかし、一般に日本ではリスクをあれこれ考えて行動をとる事が、他の国の人に比べ少ないように思います。昨年の3.11以降の政府の対応と米国の在日米国人に対する対応の相違が、如実に表れています。あの時米国では、大惨事を考え、80キロ以上に避難するように通達しました。日本は20キロでした。
最近になって、4号機の燃料プールの冷却が続いていたのは、奇跡に近い偶然からだったという報道がありました。米国の判断は、常識的だったのです。奇跡等を期待していない対応です。では日本でも同じようにしたらどうだったでしょう。結果的に燃料プールが壊れなかったので(今のところ)、80キロの必要性がなかったのですが、間違った指令を出したと政府が責められる可能性もあったのではと思います。日本では一般にマイナス評価が行われるため、何かを積極的にすると、その結果はマイナス評価され、それをしなかった事によるマイナスは評価されないという矛盾がまかり通っています。何かあれば、他人を叩こうという体質は、いつごろ、どうして起こってきたのだろうか。
3.11直後、原発の冷却が出来ない等報道を聞き、心底心配になりました。当然、メルトダウンするだろう、チャイナシンドロームが起こるのだろうかと。しかし、テレビはほとんど状況を説明してはくれず、政府が米国からの冷却材の送付を断ったと言っていました。どうして!思わず叫んでしまった、そんな便利なものがあるのなら当然使うべきではないか。しかし、その関係の報道はなぜかその後ほとんどありませんでした。
2011年3月15日、富士山直下でのM6.4の地震起きました。覚えておられますか?このニュースに私は飛び上がりました。もしかしたら、東海地震の予兆かもしれない!翌日、3月末までと言われていたボラバイトを今日で辞めると伝え、翌日17日に神戸に逃げ出しました。原発がどうなっているのかわからず、これで東海地震が来たら、東京はどうなってしまうかと思うと居ても立ってもいられませんでした。結局、東海地震は起こらず、1週間で帰ってきました。逃げ出す時はほとんど誰にも言いませんでした。言ったら笑われそうと思ったからです。タイコビクスの皆さんには、あわて者を笑ってくださいと言ってお知らせしました。後で笑われてもいい、そうしなかった事を後悔するより。私はそう考えました。
今年2012年のお正月の地震を覚えておられますか?鳥島を震源として、M4だったのですが、近くよりも遠い東京や福島が震度4でした。その後、インターネットで、4号機の燃料プールへの冷却水のパイプが壊れたとの情報がありました。そして1月7日の朝刊で、細野大臣が、昨年の3月25日に、最悪の事態としてこのような避難の可能性があったと東京まで広がる避難地図が報道されました。これを読んで、私は、これは過去形で報道されているけど、将来の話でもあるのだろうと思いました。東海地震が起こった時、東京と同じように福島も揺れ、しかも、東北の揺れとは性質が異なるために、燃料プールへの影響が必ずあるだろうと。冷却の出来なくなった燃料プールがどうなるのか、それがあの避難地図で示されているのだろう。
これから、どうすべきか、このまま東京に居続けるべきか逃げ出すべきか。
これが原発か、地震かどちらかなら逃げ出そうとは思わないけど、この両方が重なる可能性があって、しかも私を東京に引き留める理由は何もない、むしろ、一人でも東京の人間が減る事は、何かあった時、他の方の為にもなる可能性がある。子供達は皆、東京に居て、イザとなった時、逃げ出す場所もない。私が逃げる事で、イザとなった時に逃げ場所を作れる等々。メリットとデメリットをあれこれ、あれこれ考え、私は東京を離れる決心をしました。東京を離れてどこに行くかといえば、東京以外では国内で住んだ事があるのは神戸だけ、やはり神戸に行こうと決めました。
2月末に初めて不動産を探しに出かけ、結局、2軒目で決めてしまいました。
6月には引越します。仕事のあった10数年前とは異なり、仕事のない神戸の生活がどうなるのかわかりませんが・・・。