自立した考えの作り方

世間ではよく、自分の考えを持ちなさいと言われます。これからの社会は、自立した考えを持っていなくてはいけない等々。

では、どうやって、その自立した考えを持てばよいのか、その作り方はどうやるのか、誰も教えてくれません。

あなたは今まで、こうやって自分の考えを作っていきなさい、或いは、こうやったら自分の考えを作れますよと教えられた事があるでしょうか?

いや、むしろ、目立たないように、自己主張をしないように、穏やかに、周りに合わせて・・・・と言われないかもしれないけど、そうである事をなんとなく、求められてきたのではないですか。

今までのこのような考え方、或いは教室での質問が少ない授業の進め方等から、日本人は自己主張を禁じられた教育が、ずっとなされてきたように思います。

それが、グローバル化が進み、日本が沈没しかかってくると手のひらを返したように、就活の学生に求めてきているのです。

よく聞く話に、内定をもらう人はたくさんもらい、無い人は何十件受けても1件ももらえないと。

私は面接の現場を知らないので想像ですが、自立した人間であるかどうかも、その決め手になっているのではと思います。
現在の企業にとって、フラット化した組織になればなるほど、素直に言うことに従う人間より、自分の考えを持って、意見を言える人間を必要としているからです。教育を変える前に、実社会の要求の方が早く変わっているのです。

就活に入っている人には、間に合わないかもしれませんが、高校生や大学生の皆さんで、まだ自分の考えをどうやって作っていったらよいのかわからない人に、自立した考えの作り方の例をお話します。これは、あくまでも私の場合であって、人によって、考えの持ち方作り方は皆、異なる可能性があります。実は、どのような考え方を持っているかどうかは、なかなか他人には聞きにくい事柄ですので、皆が異なるのか、いくつかのパターンがあるのか、わからないのです。なぜ聞きにくいかというと、自分の考えをしっかり持っている大人は、意外に少ないのです。持っていない人に聞くと、すごく失礼な事になってしまいます。ですから、うっかり聞けないのです。

「自立した考え」とは、なんでしょうか?
    それは、周りに影響されない自分の考え方で、多くは、自分のポリシー、信念に基づいて構築されている考え方と定義します。

では、自分の信念とは?
    それは、自分が生きていくうえで絶対に譲れないものと考えますが、多分何段階ものレベルがある話でしょうが、その中で一番譲れないもの、それが考え方のベースになります。

私の場合は、それは「命」です。 昔、夢で、死の恐怖を味わった事があり、生きている事がどんなに素晴らしい事かを知りました。
生と死の境に立った時、人は必ず生に戻ろうとします。そしてその時、自分の考えていた死が、実際の死とは全く異なる事を知ります。

私は、それ以来、自分の考えのベースを命の尊さに置き、物事を判断するようになりました。直接の命の大切さは、男も女も、子供も大人も関係なく言えます。唯、どうしても選択しなくてはならない時は、大人は子供に命を譲るべきと思いますが。

命というベースが出来たら(私が聞いた唯一の人も命をベースにしていました。)、次にそれを土台にして、個々の事象に対しての判断をしていきます。

例えば、戦前の軍国主義を良いか悪いか判断する時に、命を大切にしているかどうか考えます。お国のための、天皇のためと言って、命を消費財のように扱っていました。一人ひとりの命を大切にしない考え方は、自分のポリシーに反しますから、軍国主義は悪い、そして同じように、テロも命を粗末にしているから悪い事になります。戦争は勿論です。

では、汚職はどうでしょうか?命は関わっていません。しかし、悪い事だと思われています。自分としてそれが本当に悪い事かどうかを考え、納得出来なければ、自分の判断はすぐにしないで考えます。すると命だけでは説明できないので、世の中の規則や規範も納得のいくものを自分の中に取り込みます。人は正しくあるべき、うそはつかない、規則に従う等々。それで、汚職は、規則から禁じられているだけでなく、自分の立場を利用して、不当な利益を得る行為として悪い事と判断します。規則だけだと公務員でない場合は、それほど悪い事ではない事になってしまいますから、不当な利益を得る事も含まれていなければ、納得にはなりません。規則だけでなく規則の背後にある考え方を汲みこんだ考えだから納得出来るのです。

このような自分が納得出来るものを取り込むのは、家庭環境や、教育や経験等自分以外の環境からの影響を受け、受入れやすさや受け入れ難さになっていくのではと思います。受入れには、納得出来るまで、考える事が大切です。

考えるのは、私の場合、電車の中やバスを待っている時です。一見ぼんやりしている時間に考えます。

こうやって、命というベースの上に、いろいろな自分の納得のいくベースを積上げていくと、段々判断が早くなり、多くの事の判断が出来るようになってきます。

そして、長い年月の間に、それらは系統樹のようになって、私の思考を助けてくれます。多くの話題なり問題は、どこかに似たようなケースがあって、それを引っ張り出せば判断できます。自分の中にある考え方での判断ですから、自立した考えと言えます。説明を求められても、きちんと説明できます。

2010年5月10日